(木下)昨日はあなたの招待で「サイトウ・キネン・フェスティバル」でのベートーヴェン第七の指揮ぶりを家内共々鑑賞させてもらいました。はるばる千葉県のいすみ市から長野県松本市まで出て来て本当に良かったと感謝しています。ご招待、ありがとう。
(山田)いえいえ、これも木下先生の薫陶のお陰です。
(木下)実は昨日の演奏を聴いてあなたのどういうところが素晴らしいか、ずっと考えていたんだが、まず演奏家たち一人ひとりの一挙一動に気を配っている点、それと音楽的情熱、精力的な態度、表情、それにルックスの良さ、これが第一番に浮かんだことです。今回は小澤さんから直々に依頼を受けてのサイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)の指揮、本当に素晴らしかった。
(山田)ありがとうございます。
(木下)それで、昨日の指揮の手応え、やり甲斐はどうですか。
(山田)一流ほどすべてのことを知っているので、ぼくとしてはとってもやりやすかったーー。いつもやっているオーケストラでも何かしらのストレスが発生するんですよ。で、SKOはもっと怖いオーケストラかなと思っていたのですが、すごくフランクでフレンドリーで親切だし、こっちがちゃんと持っていればすべて応えてくれるしーー。その分怖いんですけど音楽的にはノーストレスなんです。だからすごいなと思いました。
(木下)一流の人ほど頑迷さがなくて柔軟性があるっていうことだな。
(山田)本番の次の日って頭の回転が遅くなってしまうんです。アドレナリンの放出過多のリバウンドですかね。しかも昨日のような舞台だと、その夜は頭の中でずーっと音が鳴っていて寝れないんです。それで今日はボーッとしてしまっていて、先生を前に失礼なことですが。
(木下)でもその余韻がまたいいんだね。
(山田)いやいや、余韻を楽しめる心境にはまだまだ。眠れなくて苦しいんです。でもこれまでは、小澤先生に会えるとは思ってもいませんでしたから……。
(木下)そうね、チャンスをもらったんだからね。それは感謝しなければ。これもあなたの強運だよ。それをしっかり活かさなければね。必ずあなたの時代が来る。それは間違いない。
(山田)いやいやいや……。
(木下)昨日はあなたの演奏会場で楽院の卒業生のお母さんたちにたくさん会えました。飯田捷くんのお母さん、それに田中絵理ちゃんのお母さんも家族連れで来ていた。あなたのファンはたくさんいるんだね。
(山田)懐かしいなー。絵理さんにも会いました?
(まゆみ)お会いしたのはお母さんだけでしたけれど。ほかの方たちももっといらっしゃっていたのではないですか。
(木下)それに横浜シンフォニエッタの演奏の時にもお会いしたんだけれど、五十歳くらいの年配の男の方にもお会いした。この方はあなたのことはもちろんだが、藤倉大さんとか折井理子*さんといった木下式で育った人たちにも詳しいんだね。どうしてご存じか聞いたら、「音楽ファンですから」ということだったが、あなたにはこうした追っかけが多いんだねー。あれだけの熱烈ファンが付いているんだから、たいへんな財産だ。 それと昨日はあれほど熱狂した聴衆にビックリしたね。ブラボー、ブラボーが鳴り止まなかった。
(山田)ぼくもビックリしています。
(木下)それでね、七番できちっと打ち切ったのもよかったね。なかなかできないよ。ふつうならあれほどの聴衆の声援があったら、アンコール演奏やろうかとなるんだけれど、私だったらやるかもしれないけど。(笑い)やっちゃいけないね。 それにまた昨年は、ちょうど天使のこえ合唱団を率いて北京公演へ行った帰りの機内であなたのブザンソン優勝の報に接して、本当に喜んだんです。 成田空港に着いてから、団員のお父様でお医者様の方が、あなたが優勝したことを一緒に喜んでくださったので、「実は彼は医者志望だったのに指揮者にしてしまったのは私なんです」と言ったら、「いや医者にならなくて良かった。山田さんは指揮者になって正解でした」とおっしゃってくださり、お迎えの方々と一緒に喜びを分かち合ったんです。
(山田)本当にありがとうございます。身に余る光栄です。
(木下)昨日ね、演奏を聴いた後、あなたのお母さんに「立派な指揮者になりましたね。さぞや感激なさったでしょう」と言いましたら、さすがお母さん、「先生、今日は渾身のタクトで嬉しいと思いますけど、それよりももっと心配し感激したのはしらぎく幼稚園時代に合同音楽祭で独唱した時でした」とおっしゃった。
(まゆみ)やはり小さい時のことのほうが感激は大きいんでしょうね。
(木下)お母さんって本当にありがたい存在だね。
(山田)本当にそうです。母あってのぼくですから。
(木下) あなたが藝大に入った時、お母さんはできるならば背中に「山田和樹の母」と紙に書いて張っておきたいとおっしゃってた。いい言葉だね〜。
(山田)えー? ぼくにすればそれは恥ずかしい。(笑)
(木下)本当よ! 親ばかというかもしれないけどそれが親の本音なんだよ。 それから、長男の誕生おめでとう。あなたのお子さんが男の子で、しかも私の名前の一字を取って「託也」という名前にした。山田家はお父さんが直樹、あなたが和樹で、「樹」の字を使っていたのに突然私の「也」に変わってしまって、お父さんに申し訳ないと思っております。たいへん光栄なことです。
(山田)拓也とするつもりだったのですが、字画が悪いと言われて託也にしました。
(木下) 昨年あなたの招待で娘の麻奈と一緒に横浜まで演奏会を聴きに行った際に、久しぶりにあなたのお母さんに会い、その時とても失礼なことを言ってしまいました。あなたの奥様がベルリン放送交響楽団の第一ヴァイオリニストで終身雇用を約束された立派な演奏家であるため、その活躍ぶりから子育ては当分先になるだろうと思って、「お母さんは孫の顔を見ることができませんね……」と、つい軽々しいことを言ってしまって後悔しています。この度お目にかかったので失礼をお詫び申し上げました。 それでこれは家内からのプレゼント。ドーマン博士の『親こそ最良の医師』という本です。
(まゆみ)どうぞ子育ての参考になさってください。赤ちゃんが生まれたらすぐ読む本ですね。大きくなってから読んだんでは、くやしくて読む気にもならない。(笑い)
(山田)ほ〜、どうもありがとうございます。まゆみ先生のお心遣い痛み入ります。
(木下)この一年、結婚、ブザンソン優勝、二世誕生とお目出度続きだが、どうですか、親になった今の心境は?
(山田)今はとても複雑な心境です。幸せが大きい分その陰に昨日のような大きなオーケストラを指揮するというプレッシャーもあるし、人の子の親になるというプレッシャーも重なっています。自分が背負うものがだんだん大きくなってくるという責任の重さを感じています。
(木下)あぁそうそう。先日はわざわざベルリンにいる奥様から結構なお品を頂いて恐縮しております。それでうちの職員からぜひ伝えてほしいと言われたのは、あなたの奥様は現代の日本人には珍しい心遣いの方で、さすが和樹先生の奥様だとぜひ伝えてねと。分かった?
(山田)はい!
(木下)奥さん、ベルリン放送交響楽団に務めて何年になるの?
(山田)えー、五年になります。
(木下)五年? すごいね。 ブザンソンで優勝以来、世界各地のオーケストラで演奏してるでしょ。音楽は世界共通語だから言葉は話せなくてもいいんだが、陰で支えてくれる奥さんの内助の功は大きいでしょう。演奏でもいろいろアドバイスを受けるでしょ?
(山田)それはありますね。
(木下)ねえ、いい奥さんを見つけられたね。あなたはこれから八カ国十六のオーケストラで指揮をするそうだけど、たいへんなことだね。
(山田)いえ、少し情勢が変わってきていまして。やるにはやるんですけど、いっぺんにやるわけではありませんから。ま、ぼつぼつやってはいくんですけど。
(木下)ヨーロッパを活動拠点にするようなのでそれも望み薄なんだけれど、あなたが今後日本に拠点を置くようなら、お子さんを私が預かってぜひ指導してみたい。

●音感っこ同士のお手合わせ

(木下)そういえばね、私が千里丘学園幼稚園へ指導に行った時、藤倉大さんのお母さんが私の指導ぶりを見に来たの。藤倉大という作曲家がいることは以前から知ってはいたが、彼の曲はとても難解で私の頭ではまったく理解できないんだが、昔、千里丘学園幼稚園に音楽祭の指導に行った時に、彼を聴音に選んでいたんだねー。聴音が抜群で、幼稚園の先生に、この子は音楽の道に進ませたほうがいいとお母さんに伝えてくださいと言った覚えがある。それが今ではたいへんなもんだってねー。
(山田)彼は、イギリスではすごい人気ですね。
(木下)先日そのお母さんから、山田さんも木下式で育った方だと知りましたってメールを頂いた。それにしても藤倉大さんの現代音楽って本当に難しいね。
(山田)難しいですよ。彼は今まで誰もしなかった発想で作曲しているから。だいたいなぞる人が多いんですけど、彼はそういうのじゃない。彼独自なものを創ろうとしている新しい人だから。彼の頭の中で完成したもので、誰も演奏したことがない曲が次々に生まれてくるわけですよね。だから演奏するほうは、これもまたその都度独自の解釈を続けていかなければならない難しさがありますよね。
(木下)そもそもあなたが彼の曲を演奏することになったのは、どんないきさつだったの?
(山田)今年九月からN響の副指揮者になるんですが、その話が出た時、N響で藤倉さんの曲を演奏する予定だが、藤倉さんの曲は非常に難解だから指揮者が要るんだがどうかという話が出て、ではお手合わせをしましょうかということになったんです。そういう縁なんです。
(木下)藤倉さんのお母さんが、二人が意気投合したって、喜んでいたよ。
(山田)その縁で、お互い音感っこ同士ということもあり、彼とは本当に永年の友達みたいな関係になりました。
(木下)そのお母さんは厳しい子育てをした立派な方でね。
(山田)彼もぼくと同じで一人っ子なんですよ。その点でもよく馬が合うのでしょう。でもうちは過保護でしたが。(笑)

●無意識に呼吸するのと同じ存在の音感能力

(木下)私の信念は、音感能力の習得を小さい時にやっておけば、本人がその気になった時に後悔しないで済むというところにあったのだが、あなたは当初医学部志望だったのが急遽高校二年の終わりに藝大志望に転向して、受験勉強もわずか一年でそれを果たした。だから私の信念をあなたがちゃんと証明してくれたわけだが……。
(まゆみ) 山田先生のプロフィールの初めに「幼少の頃より木下式を受ける」とありますが、機関誌の読者の親御さんたちは、音楽への道へ進むとは限らない子の将来に、今受けている音感教育がどんな効果を与えてくれるのかを知りたいと思います。こんな影響を受けたという実際的なところをうかがいたいんですが。
(山田)ぼくの場合、音楽部分はきちんと基礎を学んでいない。基礎もちゃんと勉強しなかった部分を木下式でフォローしてもらっているという感じですね。ぼくが物心も付かない時期にしらぎく幼稚園で音感というものを身に付けてもらって、それがぼくの原点なんですね。だから藝大へ入って勉強したことより、幼稚園や小学校へ上がってから木下先生の下で培ってきたものが今のぼくを支えているんです。その時期に培った勘、いわゆる感性でしょうかね。自分から音感をつけたいと思ったわけでもない。たまたま音感教育をやっている幼稚園に入り、やがて木下先生の下でさらに磨いてもらい、音感が自分にとってとてもナチュラルな存在、自分から求めたものでないのに、基本としてそこにあったという存在なんです。いわば自分の意志でもないのに、ごく普通に音感で呼吸をしているといった感じの存在です。だから、ぼくにしたら絶対音感がないほうが不思議なんです。こういうのって、音感教育の賜物ですよね。藝大へ入っても、ぼくにとっては呼吸するのと同じようにごく当たり前だと思うことができない人が多いんですね。
(まゆみ)では音楽以外のことではどうですか?
(山田)積極的な自己表現かなー。ちょっと難しいですかね。 ぼくはどっちかというと引っ込み思案の性格で、答は分かっているのに手を挙げられない人だったんですよ。それが小学六年生ぐらいからようやく積極的に自己表現ができるように変わってきました。男の子だから奥手ということもあるんでしょうが。それと忍耐力ですかね。何事もそうですけど、音感ってちょっとやったからといって身に付くものじゃないですよね。何かを継続していく、継続の大事さですよね。ところがこれを親がさせようとしても限界があるでしょう。幼稚園とか塾とかがセッティングしてあげなきゃいけない。しつけって家庭の役割っていわれますけど、そのしつけの面も木下式にはちゃんと含まれていますし。
(木下)幼稚園には親代わりとしての役割がある。それはどんな時に感じたの?

●当たり前のことをごく当たり前に

(山田)まずお行儀が挙げられますね。合同音楽祭に出て来てもちゃんと礼儀正しくできる。そういう中でマナーとか学んでいくんじゃないかなー。人と会ったら挨拶するとか、人の話を聞く時には目を見るとか。今の子はごく当たり前のことができないわけですよね。当たり前のことを当たり前にできるようにするっていう点だけでも、音感教育の意義があるように思います。今、高校生の指導もしていますが、高校生になってもまともに話ができない。だから痛切に感じます。 今の日本には子供がおかしな言動をしても、「お前、今のはここがおかしい」とはっきり言える大人がいない。そういう育ち方をしてるから、サバイバルしても生き残れない。やっと念願の就職をしても三年も持たない。生き残る力がないからですよね。幼稚園のときにもそのような力を育み蓄積する環境がない。その後子供が成長する過程のどこにもありませんね。その中で間違ったら間違っているとはっきり指摘してくれるのが木下式の特徴でしょう。教える側も決して妥協しないのが木下式ですから。妥協しないことも木下先生から学んだぼくの大きな財産の一つです。

●聞く力から始まる人の成長

(山田)ぼくは演奏する側になったわけですが、今度は聴く側としてのメリットはというと、音楽を聴くということは人の話を聞くということと同じですよね。で、人の意見をちゃんと聞く人が今少なくなっていますが、聞くというのは人間の根本ですね。教育には順番があって、日本だと「読み書きそろばん」なんですが、海外では「聞く、話す、考える」なんですよ。プロセスとして「聞く」が最初で、自発性を云々する前によく聞かせることを大切にする。人の意見を聞ける姿勢ができれば、自分の意見もしっかり言えるようになりますよね。そこで初めて自発的な言動ができるようになる。何も言動の基準となることを与えずに、いきなり子供に自発性を求めるのとはまったく違いますね。 それに木下式のスペシャルなところは「体で感じる」ことでしょうね。幼稚園の時、合同音楽祭に出てその時の舞台裏の匂いをいまだに覚えています。舞台裏の張りつめた雰囲気の中で、自分の出番がだんだん近づいてくる時、自分の緊張感がピタッと一致してきた時の高揚感ですかね、非常に鮮烈な記憶として残っています。そういうものを小さい体でひしひしと感じる。「聞くと感じる」ーーこの力を培ってくれるのが木下式。木下式を習う上で、将来誰にでも役に立つものって、これに尽きるでしょうね。
(木下)さすが指揮者だね。こうして話していても、手や体がすごく動くよね。
(山田)言葉がうまく出ないんで自然に身振り手振りになってしまって。(笑い)
(木下)最後に、あなたの昨日のベートーヴェンの交響曲第七番の指揮ぶりを見て、小澤征爾先生を超える大指揮者になると、確信しています。頑張って下さい。

         (平成22年8月24日 松本市 ホテルブエナビスタ松本・料亭深志楼で)
                           機関誌「おんかん」第98号より転載