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■私が幼児・児童に求める発声のあり方
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皆様方、声というものには、さまざまな質というものがあることをご存じでしょう。明るい声、渋い声、どんよりした声、沈んだ声、ハスキーな声、それに、透き通るような声もあります。
声の美しい合唱団といえば、ウィーン少年合唱団や、ブルガリア少年少女合唱団が日本でもおなじみで、これらの公演に足を運ぶ方々も多いことでしょう。これらの合唱団は、「美しい声」の子供だけを集め、これが統一的な美の魅力を作り上げています。しかし、発声のあり方(種類)については人それぞれ好みというものがあるため、「きれいだな。魅力的だ」と感じても、百パーセントの人々がその歌声に感興を呼び起こされるとは限りません。子供の発声には、生き生きとした力強さや化粧けのない美しさがないと物足りなさがあり、魅力を感じないこともあるのです。
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■選抜した子だけではなく、すべての子が歌上手になれるように
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私は自身の教育法を提唱して以来、四十有余年を経ますが、幼児・児童は、各々が質の異なる声で歌っています。美しい声によって歌う子もいれば、残念ながら、そうではない子もいます。しかし、教育的意義を考る時、美声の子だけを選りすぐって教育するわけにはいきません。この子供たちを歌上手にするためにと、「ウィーン少年合唱団」のような発声法を真似させたり、曲の情感を先行させて教えるようなことがあっては駄目なのです。大人の感性で子供たちを追い詰めるだけです。大切なことは、「自分は歌が好きだ」という自信を持たせることが第一義と考えています。そして、ここを音楽の出発点とするのです。
第一に、子供たちの声の良し悪しを問わず、共鳴する声に作り変えることです。私は、子供の声を「原石」と考えています。すべてがダイヤモンドではなくても、磨けば皆、光り輝くのです。ただし、輝きある声にするには、調子っぱずれで歌う子や、声域狭少状態の子をそのままにしていてはなりません。
私は、次の問題点を解消(矯正)することから「調和と均整のとれた歌声」を作り出すことにしています。これを「幼童唱法」と呼び、次の事柄が幼児・児童を指導する際、大人の基本作業となります。
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一、正しい音の高さを理解させ、これを徹底する(音高感覚の育成)
二、自信を持って声量を発揮できるようにする(声量の増大)
三、どのような曲でも歌えるよう声域の幅を拡げる(声域の拡大)
四、鮮明な声で正確に歌えるよう母音認識を正しく持たせる
(声の鮮明度と母音の理解)
五、歌唱で必要な和音感覚を同時に指導する
六、音楽活動の基本として聴音能力を同時に育む
七、音楽の素晴らしさを理解させるため情感を知らせる
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私が子供の頃と違って、今はオーディオ機器も豊富で音楽環境も大きく改善されてきました。しかし、そんな恵まれた状況にあっても、依然テレビから、子供たちの歌う調子っぱずれが聞こえます。一般の人たちが考える「子供の歌声」とはどんなものなのでしょうか。それは、「幼いから一生懸命歌っているだけで可愛い。調子が外れて当たり前」というレベルなのです。しかし、この状態をよしとしてしまっては、子供たちを歌上手にすることはできません。
子供たちには音の高さ(ドレミ)を想定して歌う基準(ものさし)が存在しないのです。そのため、歌うメロディーの高さが分からず曖昧な歌い方に陥ってしまいます。しかし、基準さえ持たせれば、どんな子も調子の外れた歌声から立ち直ることができるのです。
私は、音のそれぞれが持つ特徴を明確に理解させるため、子供たちにはっきりとした声で歌わせ、その習慣を持たせています。低い音は、大切に静かに歌い、高音域は気構えを持って力強く臨ませます。これによって異なる音のそれぞれ(色合い)を理解することになるのです(刺激度理論の駆使)。
しかし、一般の人たちは、「声帯を痛める。歌は声を弱めて歌うもの」と根拠のない定説を振り回しています。そのため、「何人いても、その声量が変わらない、感興がおきない口先の歌声」となっています。このような唱法の推奨は類型現象としての幼児の発声不良(調子っぱずれ)をいつまでも改善することができず、音感を育成する上で、道理から外れた神話となるのです。
例えば手足を上手く使えるようにするには、運動機能とともに、筋肉がダメージを受けないように体操や運動などの訓練も必要であるのと同じように、声帯もそれを鍛え、上手く使いこなすためには、それなりの鍛練が必要であることを忘れるわけにはいきません。
私の教育法では、望ましい発声(幼童唱法)を身につける過程で、声帯にも耳にも音高のバロメーターを養い、その結果、音の聴き分け(聴音能力)まで身につきます。つまり、弾き与えられるピアノの音が「何の音(音名)」であるかが分かるまでに成長するのです。この訓練で付与する「音感」は音楽に接する上で何人にも欠かせない能力となります。
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■音楽の練習はフォルテッシモから始まりピアニッシモへ
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ご存じのように、ピアノの訓練に欠かせないものにハノンの教本があります。ピアノを習う人は、皆がこの教本で運指法やタッチを学びます。この訓練では、十本の指のすべてが同じ強さのフォルテッシモによって、弾けるようになることが目的です。ピアニッシモを弾けるようにと、いつも柔らかな音ばかりでハノンを弾く人はいません。美しい演奏をするためには、フォルテッシモを可能にして、順次、ピアニッシモへとその訓練を移行していくことが良いのです。フォルテッシモでも、ピアニッシモでも自由自在に自身の指を操ることができて初めて、その鍵盤から強弱のはっきりとした美しい音色が誕生します。
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私が音楽学徒であった頃、一歩校舎に足を踏み入れると、耳をつんざくようなトランペットやトロンボーンの音が痛烈に「パーン」「ボーン」と響き渡っていたものです。それは、それは耳をふさぎたくなるような音でした。この様子は、音楽を勉強したことがない人にはその真意が分からず、どんな課題が潜んでいるか分からないかもしれません。
これを「ロングトーン」と呼び、自分の演奏する管楽器で、どの音も同じ強さ、長さ、響きを維持し出せるようにすることから、美しい音色を作ろうとしているのです。音楽で求められるピアニッシモはフォルテッシモと比較する時、精神的にも音楽的にもより意識と集中が求められるといわなければなりません。それ故に、学生たちは真剣に取り組んでいます。ここに、音楽の基本はどんなものであっても、すべてフォルテッシモから開始するものであることを認識することが大切です。
幼児の歌唱指導(歌声)も、まず大きな声で歌えるようにするところから出発します。音楽的情感に先走ったり、それにとらわれ過ぎることは、その指導的段階を考慮すると決して好ましいことではありません。といって、闇雲に「大きな声で歌いなさい!」と指示しては、怒鳴ったり、音程から外れることになります。これは幼稚園でよく見かける地声によって声を出す歌い方です。
地声は、訓練を必要としない歌い方であり、矯正された歌声とは違います。「大きな声で」といっても、まずその声を磨いて美しさを作り出さなければなりません。ここに、正しくていねいに歌わせるための手法が必要となります。曲中で歌詞を教えたり、メロディーの音域や調子、口の開け方、力強さ、ていねいさ、そして、その心構えなど教えることのできる手法です(先導理論の駆使)。これによって、幼児は初めて歌う曲でも、自信を持って声を出すようになります。木下式の発声は一人ひとりの個性ある声を生かし、五十音すべてを統一した響きに改善することで、子供らしい溌剌さ、正しい音高、力強い声を引き出す幼童唱法となっているのです。
子供たちの歌声は年々低くなり、私が三十年間、開催し続けてきた音楽祭の状態を観察しても幼児の歌声は、「昔と比べ低くなった」と感じます。しかし、これを「仕方がない」としてしまっては歌上手は作り出せません。子供の話声位を高め、声に輝きや響きを育成する訓練が必要なのです。私は幼児たちに図柄がついた「かるた」を用いて、言語訓練に合わせ声域を拡大することにしています。音楽は言語と切っても切れない相関関係にあり、鮮明な言葉作りは鮮明な歌声を引き出すことになるのです(音感かるたと歌唱曲の体系)。そのため、二〜三歳の幼児でも低い声から高い声まで発声することを可能にした点が、私の体系の特徴といえましょう。
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■日本語で歌うには日本語の発声にかなった歌い方で
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過日、テレビのニュースを見ていたら、モンゴルへ巡業に行った力士たちの映像が流れていました。そして、そのバックから現地のウランブチモンゴルラジオ少年少女合唱団が歌う日本の歌『ふるさと』が聞こえてきました。実は、この曲は平成十四年、私と子供たちが共にモンゴル公演に出かけ、この合唱団と共演した際の曲で、六年前当時と比べとても上手になっていました。私は、「これは我が合唱団の影響に相違ない」と心の中でつぶやきました。
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幼童唱法の特長は、日本語の母音を大切に扱うことです。日本語は外国語と異なり、一字一字、母音が伴うため、頭声発声では表せないものがあるのです。歌を歌う際、口の開け方が曖昧であったりすると何を言っているか聞き取れないことが出てきます。頭声発声がいくら音楽に相応しいものであっても、日本語の特徴を生かす発声法としては、私が提唱する幼童唱法のほうに分があり、教育的意義があると考えています。
私は、一人でも多くの子供が歌を楽しめるようにしたいのです。音楽を楽しむには基礎訓練が大切です。一般的に音楽の要素は、「メロディー、リズム、ハーモニー」を想像するでしょうが、幼児には、これらを正確に細分化させるために次の事柄を知らせることが必要です。「鮮明な言葉で話させる」「自信を持って声を出させる」「正しい声(音高)で歌わせる」「音を聴き分けさせる」「音符を読ませる」「音符を書かせる」「リズムを体得させる」「和音感覚を身につけさせる」などなどです。こうした基礎を教えないで歌を指導すると嫌がったり、苦手意識を持ち、砂上の楼閣に陥るのです。
広い世の中には、多種の発声法があってもよいではありませんか。それぞれに美しさと魅力があるからです。しかし、子供の声の良し悪しを問わず、調子っぱずれを改善し、音感能力を付与するためには、私の幼童唱法(木下式音感教育法)による体系以外にはないと考えています。 |
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